シカゴ旅行記

ニューヨ-ク語学研修 & ワシントンD.C./ボストン/ナイアガラ・フォールズ/フィラデルフィア/コロンバス/シカゴ(by 旅するドラキチさん)

シカゴ
語学研修

日程:2002年9月14日(土)~11月1日(日)


9月14日(土)

・12:55名古屋空港 -(NH338)→ 13:55成田国際空港

・16:45成田国際空港 -(UA800)→ 16:20JFK国際空港

9月14日(土)晩~10月26日(土)朝:ホームステイ(ロングアイランド)

★ 9月16日(月)~10月25日(金):語学研修(Embassy CES/マンハッタン)

10月26日(土)

・マンハッタン宿泊

10月27日(日)

(注) コロンバス行きUS4759便(ラ・ガーディア空港12:30発)が機器トラブルによりフライトキャンセルとなり、下記の代替ルートでコロンバスへ移動


・15:25頃ラ・ガーディア空港 -(タクシー)→ 16:10頃 White Plains空港

・16:59White Plains空港-(DL5600)→ 19:00シンシナティ・北ケンタッキー国際空港

・19:35シンシナティ・北ケンタッキー国際空港-(タクシー)→ 22:30頃 コロンバス

10月28日(月)

★ 現地研修

10月29日(火)

★ 現地研修(AM)

・15:53コロンバス空港 -(UA1671)→ 16:09シカゴ・オヘア国際空港

10月30日(水)

★ 顧客訪問(PM)

10月31日(木)

・12:45シカゴ・オヘア国際空港 -(UA883)→

11月1日(金)

・-(UA883)→ 17:00成田国際空港

・19:00成田国際空港 -(NH3205)→ 20:20名古屋空港

【旅行時期】2002/09/14~2002/11/01
【エリア】アメリカ
【テーマ】留学・ホームステイ
【投稿者】旅するドラキチ

二十歳のヒッチハイカー(by ヒマジンさん)

シカゴ
1979年3月16日~1980年3月16日まで、学校を休学して
海外旅行に行きました。成田空港が開港した翌年、
多くの日本人が海外旅行に行く頃でした。表紙の写真は当時、
入部していた大学のESSクラブのメンバーと両親です。
京都駅まで見送りに来てもらいました。
当初の目的地は、アメリカ合衆国でした。ロサンゼルス、
サンフランシスコ、シアトルと現地の人々の家に泊めて
もらい旅行しました(写真-①)。英会話を学ぶために、
大学の語学教室に通いました。現地の人に紹介文を
書いてもらい、無料で授業を受けました(写-②③)。
20日位、自転車で35マイル(56km)の通学距離でした。
ある日、車とぶつかり、自転車が壊れてしまいました。
ぶつけた自動車の人と一緒に、泊めてもらってた家に帰ると、家族の人が、「ノリオ、身体は大丈夫か」と最初に私の体の事を心配してくれました。貸してもらってた自転車の事より、自分の事を最初に気にかけてくれました。とてもうれしかったです。ここで、多くの国の人々と知り合いになりました。3ヶ月のビザが切れ、カナダのバンクーバーに行きました。ここでは、
ビクトリア島(写-④)の美しさと、10時になっても明るく、
子供たちがサッカーをして遊んでた風景を思い出します。
1ヶ月後、バンフ・ジャスパー(写-⑤)を通過し、
ユタ州のソルトレイクシティに行きました。ソルトレイクでは、イエローストーン国立公園で初めてウォータースキー(写-⑥)
をした事、誕生日に友達にケーキを作ってもらった事(写-⑦)、初めての乗馬(写-⑧)、そして多くの友達が出来ました
(写-⑨⑩)。ソルトレイクを出発し、オマハ、シカゴ
そして、メイン州に10日程、滞在しました。
メイン州の図書館で日本文学の棚の所にいた女性と
知り合いました。旦那さんが精神科の医者で、世界を診療し
ながら旅行しているとの事でした(写-⑪)。一緒に旦那さん
が勤めている精神病院(写-⑫)に行き、そこで2日程、
泊まり、いろんな患者さんといろんな面白い話をしました。
キリスト、ヒットラーと話した事を覚えています。
再度ビザが切れたので、カナダのノバスコシアという、
東の端の半島に行きました。非常に景色の綺麗な所でした。
ここでは、陶芸家のアメリカ人としっかり者の日本人女性と
子供2人の家に泊めてもらいました。一人の子供の名前は
「海」君でした(写-⑬)。ここでの想い出は、夜中、
非常にお腹がすき、家の人に黙って、冷蔵庫の、
ベーコンを食べ、お腹が痛くなり、一晩中一人で
トイレで苦しんでました。翌日、わかったのですが、
前日の夕方、近所のパーティがあり、そこで出た、きのこが悪く、何人か食あたりになったようです。ノバスコシアを出発し、
ボストンに行きました。ボストンでいつもの様に、
女性に泊めてもらう為に声をかけました。すると、
すぐに快諾してもらいました。彼女と一緒について行くと
教会に連れていかれました。3日間、教義を聞き、
少ない食事だっと事もあり、頭がボーッとしていました。
係りの人に、何回か「日本語の分かる人から教義を受けますか?」と聞かれましたが、教義に興味がなかったので
断りました。4日目に、皆で町に出て仲間を増やしに行くと
言われました。最初に3日間だけ泊めてもらう約束だっので、
「私は出て行きます」と言いました。すると係りの人が、
「ただで、泊めて貰って、食事したのだから、
仲間を集めるか、再度、教義を聞くか」と詰問調で
言ってきました。最初に会った女性(リンダ・写-⑭))を
呼んでもらい、「最初の約束の話をしました」しばらく話をし、結局、1週間、皿洗いをする事で合意しました。
さらに1週間、寝床と食事を得ることができました。
帰国後、その教会は統一教会といって、あまり良い団体
ではないと聞きました。しかし、皿洗いをしながら、
彼等達と話をして、ほとんどの人は、真剣に教義を勉強し、
一人でも多くの人に、仲間になってもらう為に、
一生懸命な若者だと感じました。マインドコントロールかも
しれませんが?。ボストンの次に、ニュージャージーで
ドイツ系の家族の家に泊まらせてもらいました(写-⑮)。
日本を出て9ケ月程過ぎ、日本食が食べたくなり、
家族の人にカレーライスを、ご馳走しますと食材のお金をもらい、オリエンタルショップで買い物をしました。
初めてカレーを作りました(写-⑯)。カレーパウダーを
いくら入れても、日本で食べたようにトロリとならず、
試食すると非常に辛くなってました。肉を4kgとか、
いろんな食材を、お金を出してもらって作ったので、
家族の人には、「これが日本のカレーだと」食べてもらい
ました。皆、美味しいけれど、口に合わないと、
少ししか食べませんでした。私はかなり無理をして、
1皿だけ食べました。翌日、近くの大学の英語教室に行き、
日本から海外出張で旦那さんに付いて来ている奥さん達に
作り方を聞きました(写-⑰)。カレーのルーを
使わなければいけない事を教わりました。
ニュージャージーからニューヨークまでは、
車で1時間程なので、家族の娘さんと一緒に、
自由の女神の島等に行きました(写-⑱)。
ニューヨークでも1週間程、泊めてもらいました。
マンハッタンのワールドトレードセンター(写-⑲)、
ハーレム、夜の街等、いろんな面白いものを見、
体験しました。次に、ワシントンD.C.に行き、
役所に勤めている人の家に泊めてもらいました。
ワシントンD.C.は、町並みが綺麗で、ほとんどの
公共建物が無料で入館できました。ワシントンメモリアル、
ホワイトハウス、スミソニアン、アーリントン墓地、
FBI,そしてロッキーバルボアと同じように階段を
駆け上がり、手を掲げ、リンカーン像に挨拶しました(写-20,21)。そして、そろそろ3ケ月のビザの有効期限が切れるので、
メキシコに行こうと考えました。しかし、当時、
アメリカ南部は、ヒッチハイカーに厳しく、
刑務所に入れられた旅行者がいると聞きました。
メキシコに行くには、南部を通らなければならず
悩んでいる時に、ニューヨークからロンドンまで、
キャンセル待ちで片道3万円で行ける飛行会社があると聞き、
ヨーロッパに行く事にしました。ロンドンに行く前に、
冬のヨーロッパに行くので、野宿もつらいだろうと思い、
電車の中で寝れると思い、鉄道のユーレル・ユーロパス
(2ケ月)を買いました。ロンドンに着いて、
一番驚いたのは、人口の半分がインド人だった事です。
1週間程滞在し、ドーバー海峡を渡りパリに行きました。
パリの想い出は、シャンゼリデ通りで、
トイレに行きたくなり、公衆便所に入ろうとした時に、
カウンターの後ろにおばさんが座っていて、
カウンターに1フラン紙幣が、何枚か置いてありました。
仕方なく1フランを払いました。用を済ませて出てくる
ときにカウンターの中をのぞくと、小銭が沢山ありました。
納得がいかなかったけれど、仕方ないと思い歩いていると、カップラーメンの「どん兵衛」が600円(何フランか忘れました)
で売っていました(写-22)。ヨーロッパでは夜、
電車の中で一泊し、着いた街で昼間に散策し、又、夜、
電車の中で一泊しました。電車でスペインのマドリッドに
行き、さらにポルトガルのリスボンまで行きました(写-23)。
リスボンの港で、醤油を付けた焼き魚が、
すごく良い匂いがしたのを憶えています。ポルトガルの
南部の町で電車を降りてしばらく歩くと海岸にでました。
冬の寒いヨーロッパ旅行の途中で、明るい海岸と、
広大な大西洋に感激しました(写-24)。しかし、
いくら南下しても寒く、もっと暖かい所に行こうと、
アフリカ大陸に行くことにしました。ジブラルタル海峡を
渡り(写-25)、テュアナという街(写-26)に着くと、
沢山の子供たちが、私の持っている物と、子供たちの
持っている物と交換しようと集まって来ました。
私の穴の開いた、ジーパンでも良いとの話でした。
そこに、バイクに乗ったおじさんが来て、
「家に泊めてやるから、乗れ」と誘ってくれました。
アフリカの家は、どんな家なのか知りたいのと、
空腹だったので、「メルシー」とだけ言い、
バイクに乗せてもらいました。彼の家は、土で造った家で、
8人位で住んでいました。パンのような物を食べさせてもらい
寝ました。翌日、家の子供たちが来て、私の持ち物と交換
してくれとやってきました。フランス語はほとんど分らないので、身振りで「皆で散歩に行こう」と誘い、家の周りの
丘を遊びながら過ごしました。その家を出発する時に、
おじさんに、ボールペンとメモ用紙をあげました。おじさんは、すごく喜んでくれました。モロッコでは紙は、貴重品でした。
国によって紙の質・量が変わっていました。
旅行中に日本から履いてきた靴の底が破れ、
パンフレットなどを口底に敷き歩いていました。
アメリカでは、パンフレット等の厚紙が簡単に手に入り、
底に敷いて1週間位、取り替えなくても大丈夫でした。スペイン・イタリア・ポルトガルでは薄い、ちらし等しか、もらえず、
1日~2日位で取り替えてました。モロッコでは、
紙そのものが入手しづらく、あってもすぐにぼろぼろになり、
2~3時間歩くと取り替える必要がありました。
マラケシュでは、ヨーロッパとは、まったく異なる町並み
、モスク(イスラムの教会・写-27)
、人々と出会いました。しかし、昼間は暖かくても夜は
すごく寒くなり、野宿よりもヨーロッパに戻り、
電車の中で寝たほうが良いと思い北上しました。
途中、カサブランカでは、高い建物が多い事に驚き、
知り合った人のマンションの部屋(20階位)から見た、
大西洋は雄大でした。スペインに戻り、グラナダに1週間程、
滞在しました。おばあさんと孫が住んでいる、
コテージ風の所に泊めてもらいました(写-28)。
アルハンブラ宮殿はとても美しかったです。
グラナダを出発する日に、同じ泊り客だった男性から
バルセロナに住んでいる友人を紹介してもらいました。
そして今回、このブログを書く動機となったバルセロナに
向かいました。途中の電車のなかで、チリから来た、
2人の女性と知り合いになりました。バルセロナに着くと、
まず、紹介してもらった人のところに行き、グラナダで
書いてもらった紹介文を渡しました。
彼女(エルミニア)は、私の宿泊を即座に
快諾してくれました。エルミニアの彼(マニュエル)が、
オーストリアから遊びに来ていて、
「バルセロナの町を案内するから、一緒に行こう」と
言ってくれました。でも、その日の夕方、電車の中で
知り合ったチリの女性と会う約束をしていて、
「日本人の友人と市内観光するから今日は行けない」と
マニュエルに嘘をつき、チリ人との集合場所に行きました。
チリの女性達と街中を歩いていると、
男性2人が話しかけてきました。彼らとチリ女性の一人が、
スペイン語で親しそうに話をし、皆で一緒に行動しようと
言い出しました。私は、彼らの容姿とスペイン語力に
嫉妬を感じ、「3人だけで遊びに行こう」と反対
したのですが、一人の彼女が「じゃ、ノリオ1人で
遊びに行ったら」と言いました。
私が好意を持っていた女性(パトレシア)は、
反対したのですが、もう一人の女性が、彼らとさっさと
歩き出しました(写-29)。結局、私1人が取り残されました。
その夜、失恋(私が勝手に恋をしたと思っていただけです)の
痛手で、落ち込んだ状態で、エルミニアの部屋に戻りました。
エルミニア達は、私を歓待する為に料理を作り待っていて
くれました。私が昼間と比べ、元気がないので、
具合が悪いのか心配してくれました。
私は嘘をついた事と失恋した事を話しました。すると、マニュエルが、私の昼間の彼らに対する態度、言葉がだめである事、
女性の口説き方を一生懸命に教えてくれました。
スペイン語がほとんど理解できませんでしたが、
自分が嘘を言って、マニュエルの誘いを断ったことを、
怒られると思っていたのに、私を慰めてくれた事に、
非常に感激しながら聞いていました。夕食後、彼らが、
私の為に女の子を誘って遊びに行こうと言ってくれました
(写-30)。一緒にディスコに行った女の子の中に、
14歳のアンナという女性がいました。もっと長い間、
滞在したかったのですが、バルセロナを出発しました。
そして、イタリアに行きました。シチリア等は景色も綺麗で、人々が親しみやすく、親切でした。後で、
マフィアの里であると聞き驚きました。ナポリでは、
泊めてもらっていた女性に、旅行中、良く使った言葉、
「私は、空手を習っていて、黒帯のタイトルを持っている」
と話しました(写-31)。実際は、高校の体育の授業で、
柔道の授業があったくらいです。この話を聞いて、
彼女が「私の彼も空手を習っているので、
日本人の空手家と会うと喜ぶわ」と、私が、反対するのに、
彼を家に呼びました。彼の身長は2m近くあったと思います。
体格も丈夫そうな中南米系の男性でした。彼が試合を
したいと言い出しました。試合をすると、
空手を知らない事がすぐばれるか、怪我、最悪は殺される
と思いました。とっさに、「道場、以外で試合をすると、
黒帯を取り上げられる」と以前、聞いた話を、
イタリア語で話しました。その時は、イタリア語が自然と
口から出てきました。その話を聞いて、彼がすごく
感心してくれました。その夜の夕食は豪華でした。
いつもなら、泊めてもらった最初の夜は、空手、歌舞伎の話をし、明日も泊めてくれたらカレーを作ってあげると、
1週間位泊めてもらうのですが、さすがに、その夜は、
早く朝になり出て行くことばかり考えていました。
鉄道パスの期限も切れるので、フランス、ドーバーを渡り、
イギリスのヒースロー空港でキャンセル待ちをし、
ニューヨークに行きました。ニューヨークから、
ヒッチハイクでロサンゼルスまで行く予定でしたが、
疲れもあり、グレイハンド・バスで旅する事にしました。
途中、ユタ州のソルトレイクシティに寄り、
前回の滞在中に友達になった、女子高生の家に2週間程、
泊めてもらいました。高校生達と、釣り、ハイキング、
そして、初めての射撃を体験しました(写-32)。
そしてロスからハワイに行き、日本を出発して丁度、
1年になる日まで滞在しました。ハワイでは
モーターボートでカジキ釣りに連れて行って
もらいましたが、残念ながら何も釣れませんでした。
約2週間滞在し、黒く焼けて(写-32)
成田にランディングしました。当時は、無事に着陸すると、
自然と拍手が起こりました。この旅で、800枚の写真を撮り、
毎日、日記を書き、2週間に1度は両親に手紙を送りました。
旅行費用は、成田⇔ロスの往復航空券18万円を日本で支払い、
旅行中、持ち歩いた、トラベラーチェック90万円が、帰国後、
換金すると70万円残っていました。たまたま、
出発時は1ドル150円だったのが、1ドル200円になり
ラッキーでした。約38万円で、かけがえのない体験、
多くの友人、そして自分自身の成長と自信をつける事が
出来ました。もちろん、私を泊めてくれた人々、
食べ物をくれた人々、ヒッチハイクさせてくれた人々、
話をした全ての人々の親切とパワーをもらった事で、
成し遂げられた旅でした。
*次号の20年後の再会も、是非一読下さい。


【旅行時期】1979/03/16~1980/03/16
【エリア】カンザスシティ
【テーマ】プチ留学・カルチャー体験
【投稿者】ヒマジン

デトロイト・タイガーズ(by kotayさん)

シカゴ
シカゴから夜行のグレイハウンドでデトロイトへ。コメリカパークで1試合観戦。デトロイト市内はちょっと雰囲気が悪い。

【旅行時期】2000/07/~2000/07/
【エリア】デトロイト
【テーマ】
【投稿者】kotay

デトロイト・メトロポリタン国際空港(by ルート0.6さん)

シカゴ
今回日本へ行くにあたり、往路はデトロイト空港経由になってしまった。

デトロイト・メトロポリタン国際空港
Detroit Metropolitan Wayne County Airport

デトロイトの国際空港。でも、英語名にはなぜか、"International"という言葉は入っていない。
ノースウエスト航空のハブ空港ということもあり、日本人も多く利用しているので全ての表示には日本語が併記されている。スペイン語じゃなくて日本語というところがすごいが、この程度の単語が判らない日本人客も少ないだろうから実際どれ程効果があるかは疑問ではある。

スミスグループのデザインによる、2002年にできた新しいマクナマラ・ターミナル(Edward H McNamara (midfield) terminal)は一直線で、やたらと長いので、ターミナルの端から旅客を移動するピープル・ムーバーが走っている。屋内をモノレールが走ってる姿が楽しくて、この空港を利用するときはいつも乗り継ぎゲートが近くて必要がないときでもに乗ってしまう。またこれが頭上を走っているだけで、ワクワクした気持ちになり、無味乾燥なデザインが多いアメリカの空港の中でも楽しい空港のひとつとなっている。

コンコースAとコンコースB/Cは地下道で結ばれているが、ここも幻想的な音と光による演出がなされている。シカゴのオヘア空港のそれに近いものがあるが、こちらの方が手が込んでいて楽しい。

デトロイト・メトロポリタン国際空港のサイト
  • http://www.metroairport.com/


  • スミスグループ
  • http://www.smithgroup.com/


  • グーグルマップではココ
  • http://tinyurl.com/de5osx

  • 【旅行時期】2006/09/11~2006/09/11
    【エリア】デトロイト
    【テーマ】
    【投稿者】ルート0.6

    東海岸の旅 その2(by Mark & Risbeauさん)

    シカゴ
  • http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10254573/
  • からつづく】

    もうたくさん!というほどナイアガラで水を見たあと、バッファロウからニューヨークJFK空港へ戻った。ニューヨークには80年代後半に出張でよく来たが、仕事に燃えていたのだろうか、あまり観光をした記憶がない。

    快適なフライトで予定通りJFK空港に到着。JFKからマンハッタンへ行く方法はいくつかあるが、移動時間とコストを考えれば空港でAirTrainに乗り、終点のジャメイカでLIRR(ロングアイランド鉄道)に乗り継いでペン・ステイションまで行くのが一番だろう。運賃はエアトレインが5ドル、LIRRが通勤時のピーク運賃で7.25ドル。ジャメイカ駅で乗り継ぐ時にエアトレインの切符とLIRRの切符を買うことになるが、券売機の仕組が複雑でちょっとややこしい。おまけに駅員さんは突慳貪。これで、ニューヨークに来たんだなと実感する。

    エアトレインが開通した2003年までは、JFKからマンハッタンへの移動は車かバスに頼るしかなかった。時間帯によっては凄まじい渋滞に巻き込まれるのと、途中通行する橋ごとでバスケットに抛り込む小銭をたくさん用意しておく必要もあった。これがニューヨーク到着後最初の洗礼だった。いまでは、景色を見ている間に鉄道が街の真ん中まで連れて行ってくれる。なんとも便利になったものだ。

    ペン・ステイションで地下鉄に乗り換えて、アッパーウエストにあるホテルに向かった。今回、りす坊の強い希望によりミュージカルを見る予定なので、ブロードウエイ沿いのホテルに予約が入っている。

    マンハッタンでの移動には、バス・地下鉄乗車無制限のファン・パス(Fun Pass)が便利だ。ただし、名前はもう少し考えた方がいいと思う。3日券というのはないので、一人25ドルの7日券を買った。

    ホテルにつくと部屋はびっくりするほど狭かったが、薄型TV、冷蔵庫、金庫、空調完備で、風呂は真新しい御影石張り。古い建物にしては手入れが行き届いており、寝泊まりするだけなら十分なホテルだ。今回も外の旅行者のクチコミ情報に大変助けられた。これがこれから3日間僕らの行動拠点である。

    荷物を置いてザバッとシャワーを浴びると、早速街に繰り出した。例のガイドブックを引っ張り出し、だいたいエンパイア・ステイト・ビルの方向に向かって歩き始めた。

    南北に走るアベニュー・オブ・アメリカズに行き当たったら、普段交通が激しい大通りが歩行者天国になっていた。街の各所で開催されていた夏のストリート・フェアの一環で、ここでは国際移民基金主催のフェアが行われていた。フルーツスタンド、ジロ(ラム肉のファースト・フード)、ホットドッグ、Tシャツと、なぜか同じ露店ばかりが繰り返し並んでいた。

    長い通りを10ブロックほど南向けに歩いたところで緑豊かなブライアント公園に到着した。木々の間からエンパイア・ステイト・ビルが覗いている。慌ただしい街の喧噪の中に、緑豊かなゆったりした公園があるのはなかなかいい。ここでコーヒーを買って作戦会議にした。行き当たりばったりの旅というのも悪くない。

    公園からすぐのところにあるタイムズ・スクエア。絵に描いたようなお登りさんである。20年前にも一度来たような気がするがよく覚えていない。忘れる前に、写真の右後にある堅岩茶房でピンをゲットしておいた。いつかコレクションをご紹介します。

    42番通りを引き返してグランド・セントラル駅に向かった。1871年に設けられたグランド・セントラルは、繰り返し映画の舞台に使われている。ご存じ「北北西に進路を取れ」でケアリー・グラントはこの駅からシカゴ行きの汽車に乗る。「Falling in Love」でデニーロさんとストリープさんが行き違いになるのも、この駅のプラットフォームだ。「フィッシャー・キング」を観た人なら上の写真のコンコースをよく覚えているに違いない。

    この駅と背後に聳えるメト・ライフ・ビル(旧パンナム・ビル)はパーク・アベニューを遮るように建っているので、大通りは駅舎の2階をぐるりと迂回している。最近「I AM LEGEND」でウイル・スミスさんが罠にかかって宙づりになったのは、この駅の2階、上の写真の緑の高架の上だ。

    グランド・セントラルのすぐ東には、ニューヨークを代表するアール・デコ建築の傑作、クライスラー・ビルが聳える。ここに来ると誰しもカメラを上に向けたくなる。通りがかった南米風のお兄さんもこのビルを背景に写真に写りたかったらしく、自分のカメラを僕に押しつけた。

    クライスラー・ビルのてっぺんを飾る銀色の装飾は、車のホイールキャップをイメージしている。アメリカが機械化を邁進した時代の名残りだ。自動車メイカー、クライスラーの本社として1930年に竣工した時には、世界一高いビルとしてマンハッタンの空にデビューした。ちなみに、それまでの世界最高は1899年にパリ万博で建立されたエッフェル塔だった。

    ほんの4ヶ月後にエンパイア・ステイト・ビルに世界一の座を明け渡すことになるが、今日でも煉瓦造りのビルとしては世界最高だそうだ。最上階に近い71階には一般向けの展望デッキがあるが、1945年に閉鎖されてしまった。そこから見える風景はどんなだったろう。アール・デコの時代をいまに伝える内装を見ることができないのも、残念な限りだ。

    半日歩いたら腹が減った。ニューヨークに来たら、最初の夕食はイタリア料理ということになっている。(By りす坊。)そこで、うまいパスタを求めて「ゴッドファーザー」の街リトル・イタリーに向かった。夥しい数のイタリア料理店の中から、これぞ!という一店を厳選。と、いうのはうそ。空腹の限界と客引きのお兄さんの好感度で店を決めた。

    幸いうまいビールと料理に巡り会い、ニューヨーク一日目は上首尾に終了した。

  • http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10259028/
  • につづく】

    【旅行時期】2008/06/13~2008/06/20
    【エリア】ニューヨーク
    【テーマ】
    【投稿者】Mark & Risbeau

    シカゴに関する質問

    シカゴ シカゴ乗り継ぎの際の入国カードについて

    アメリカン航空利用、シカゴ乗り継ぎでモントリオールに行きます。シカゴでアメリカの入国審査があります。その場合、入国カードはアメリカ用、カナダ用の2種類を書くのでしょうか。シカゴ行きの飛行機で配られるカードは、アメリカ用のものだけなのでし

      シカゴ乗り継ぎの際の入国カードについての詳細


    シカゴ シカゴ行きのツアー

    3の都市と言われている)シカゴ行きのツアーが載っているパンフレットを見たことがありません。一度、シカゴに行ってみたいのですが、どこかの旅行会社で扱っているところはないでしょうか?また、シカゴの観光名所があり

      シカゴ行きのツアーの詳細


    シカゴ シカゴのホテル 人気ナンバー1はどこ?

    シカゴに3泊します。リッツカールトン、フォーシーズンズ、パークハイアットアメリカ系のイイホテルがたくさんありますが、1番人気はどこなのでしょう?ウエスティン、ソフィテル、ドレイク、ホリディインクラウンプラザ エトセトラエトセトライタリアやロ

      シカゴのホテル 人気ナンバー1はどこ?の詳細


    シカゴ シカゴオヘア空港の手荷物一時預かりについて

    今週末に成田-シカゴはANAにて午前中着の便、シカゴからの乗り換えはUAにて夜発の便、日中はシカゴ市内を観光する旅行を計画しています。一度、スーツケースをピックアップしてオヘア空港内に預けたいのですが、どこか預かってくれる場所またはコインロ

      シカゴオヘア空港の手荷物一時預かりについての詳細


    シカゴ シカゴにあるマクドナルド1号店に行ったことありますか?

    シカゴにあるマクドナルド1号店に行ったことありますか?今は博物館になっていますね。シカゴのオアへ空港の北にあり、住所も、営業時間も分かるのですが、交通機関が分かりません。バスか何かあれば教えていただけ

      シカゴにあるマクドナルド1号店に行ったことありますか?の詳細